ICD(植込み型除細動器)の植え込みを決断するまでの日々
2016年1月中旬に持続性心室頻拍という不整脈により、ICD植え込み適応だと診断されました。
25歳既婚♂がICD植え込みを決断するまでの経緯です。
長いですが、このような体験談や決断までの経緯をぶちまけているブログが中々探してもなかったため今悩んでいる方々の支えになれればと思います。
まずは診断を受けるまでの経緯をお話します。
1.致死性不整脈と分かるまで
循環器内科を受診したのは最初は高血圧の治療からでした。
最初は近所の総合病院を受診し、循環器専門のDrがいる日に再受診しました。
この時はまだ不整脈の「ふ」の字も出ていませんでした。
高血圧を治療する途中で特定のホルモン分泌が多いことが分かり、通常の心電図検査を何回か受けました。
そこで多少の不整脈が見つかりました。それが2015年の夏頃でした。
そこからすぐ、ホルター心電図による24時間計測を行いました。
その結果が衝撃的なものでした。
「心室頻拍が複数回、それも長い時間(10分以上)発生しています。いまは自然に通常の脈拍に戻っていますがいつか戻らなくなり突然死となるリスクが有ります」
とのことでした。
2.心臓MRI
レントゲン検査によって心臓が拡張している兆候があったため心臓のMRI検査を受けることになりました。
通常はMRI検査は40分から1時間で終了するそうですが、私の場合すでに脈が遅くなっており(この時40〜50bpmになっていました)通常の方よりも倍以上の2時間30分以上横になって百何回も息止めをしました。
(息止めはかなり辛かったです・・・。終了後はふらふらで歩くことができませんでした^^;)
心臓MRI結果は心臓組織の線維化も見られず問題ないとのことでした。
ただ、肥大の兆候は見られることはMRIの結果からも明白でした。
3.EPS検査(心臓電気生理学的検査)
2016年1月初めには不整脈の誘発検査を行いました。この検査は足の付根(鼠径部)からカテーテルを入れて行うものです。
この検査が私の決意を固めた不思議な体験をさせました。
検査が始まり、ほぼ全裸の状態で検査台に横にされデリケートな部分の毛を剃られ消毒を行い、局所麻酔を行いました。
その後、1cmに満たないぐらい切開し、そこからカテーテルを挿入しました。
なにも感じず既に心臓にまでカテーテルは達していました(感じちゃヤバイですねww)
そして、検査も後半になりそろそろ終わりか?というときに不思議な感覚に陥りました。
急に回りが忙しなく動き始めたのです。
その瞬間何が起きたかもわからず、なにか夢を見ていました。(夢の内容は覚えていませんが結構長い夢だったように思います)
気づいたころには検査室に流れていたJ-POPの曲が変わっていました。(たしかいきものがかりの「ありがとう」が流れていましたが、ゲスの極み乙女?に変わっていました)
そうなんです。この時私は心室細動が発生し、よくドラマで見るようなあの電気ショックによって心臓が通常の動きに戻されていたのです。
(あのアイロンのようなものを想像していたのですがAEDのようにパッドが貼られていてそこから電気ショックを行ったようです。)
4.誘発検査は陽性
不整脈の誘発検査は陽性であり、「特発性拡張型心筋症」という病名までくっついてきちゃいました。
よくよく調べるとこの病気は難病指定までされちゃっているんですね。。。
ここでようやく事の重大さに気づきました。
即遠方にいる両親にも東京まで来てもらい先生からのインフォームド・コンセントを受けました。
正直、両親も動揺していましたが最後の決断は本人である私に委ねられました。
5.植え込みを決断!!
そんな私は両親が帰る日、植え込みを決断した旨を妻、両親、主治医に報告しました。
決断の決め手は以下です。
- 妻のお腹の中には新たな生命が芽生えており、親としての責任があり今死ぬわけにはいかない
- もし仮にまた致死性不整脈が発生した場合、そのまま死ねるとは限らず蘇生した場合に麻痺が残ることがある(その時我が子を認識することすら難しくなるかもしれない・・・)
- もしも植え込みしない決断をした場合には周りの負担がかなり重くなる(もしもの時に植え込みを勧めなかったことへの後悔など・・・)
- まだまだやりたいことがたくさんある!!80過ぎまで生きてやる!!
- 植え込み手術を行った方々の体験談を読んで気持ちが楽になった
そんなこんなで植え込みを決断しました。
既に植え込み手術も終えていますが、植え込み手術の体験談についてはまた後日投稿させていただきます。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
少しでも同じ病気やICD植え込みで迷っている方々の励みになればと思い、これからも投稿を続けていきます。